最近ではあまり言われなくなりましたが、昔から悪口で「タコ」というのがありますよね。
この記事ではその由来の列挙し、その上でそれらとは別に「タコ」という言葉そのものに対する考察を付け加えました。
目録
「タコ」という悪口の由来
諸説は四つに集約されます。前者二つが主たる理由。後者二つは一理あるとは言え後付と思われます。1
1.僧侶、坊主の頭が似ている事からの蔑称
蛸の頭と坊主の頭がそっくりなので僧侶を悪し様に罵る時に用いられるようになりました。2.江戸時代の口喧嘩の買い言葉
江戸時代の武士階級には上下間に歴然とした境界線があり、身分が二つに大別されてしました。その境界線の事を「御目見得おめみえ・得は省略される場合もある」と呼び、
将軍に直接お目通りすること及びそれが許される身分を指し、
御目見得以上を旗本、御目見得以下を御家人と階級がハッキリと分かれていました。
そんな状況で旗本の子が御家人の子を「(御目見得)以下イカ」と罵り虐めると
御家人の子が「タコ」と言い返したという話が多々あります。
3.生態からの俗説
蛸壺という単純な仕掛けで捕えられてしまう様から、蛸は空腹に耐えかねると自らの足を食べてしまうという短慮な行動をとるとされる俗説があるそうです。
4.ゴルフによる
1ホールで8打もする人をタコ、10打もしてしまう人をイカと呼ぶ場合もあるとの事。他人を「タコ」呼ばわりする事の危険性
僧侶への蔑称や「以下」に対する買い言葉からも解るように「タコ」と他人を罵るのは位が「下」の者がやる事。
なので、人を「タコ」呼ばわりしていると知らぬ間に自分が相手の”下”になってしまう危険性があるので止めた方が良いでしょう。
悪口「タコ」の有効活用に関する一考察
自分にとって重要ではない会議とか恋人の他愛無い話など、眼前の相手や作業に没頭出来ずに「心ここにあらずの状態に気がついたらなっていた」という状況、貴方にもよくありますよね?
そういった時、私達は自分の心や魂といった部分を身体から遠く放して空想へと解き放っているのです。それこそ風に舞う凧のように。
あるいは海に住まう蛸のように思考の触手を伸ばしに伸ばして「他沽(他の価値)」や「他己(今ここにいない空想上の自分)」を何気なく求めてしまっているのかもしれません。
他人を「タコ」呼ばわりするのは相手の下に入ってしまう危険性がありますが、自分自身に対して「タコ」と自戒の為に使うのは有効でしょう。
したがって自分自身の眼前の現実に没頭しきれず、空想に逃避している状態に陥っていると悔悟した時、自分に活を入れる為に「タコ」と一喝自身に投げかけるのが最も「タコ」という悪口を有効活用していると言えるでしょう。
貴方の心いつの間にか蛸になっていませんか? 凧揚げしてしまっていませんでしたか? 眠れる肉よ
今こそ目覚める時です!
他沽喰らい 魂を凧揚げ 蛸ドツボ 他言無用の 他己成らんとす
私達の幸福や成熟の礎になる事を願って 枕本より
参考文献・使用素材等
アイキャッチ画像の提供元無料の写真素材「ぱくたそ」
photo by すしぱく
model by プー